西堀栄三郎(にしぼりえいざぶろう)
西堀栄三郎は、1903年京都生まれの登山家、科学者、技術者であった。京都帝国大学理学部化学科卒業後、京大講師・助教授を歴任後、東京電気(現在の東芝)で勤務する。
東芝技術本部長時代には真空管「ソラ」=電気を開発している。戦後は独立コンサルタントになり、「統計的品質管理手法」を日本の産業界に取り入れ、戦後の日本の工業製品の飛躍的発展の基礎を築いた。日本山岳協会会長も務め、日本初の8000m級のマナスル登山のネパール政府との交渉役を務める。1980年チョモランマ登山隊隊長を務める。京都大学教授に就任した翌年の1957年から1年間、第一次南極越冬隊の隊長として南極に滞在する。11歳の時に南極に行きたい、という夢をかなえたと言われる。日本原子力研究所理事や日本生産性本部理事も務めた。1990年に亡くなった。
「とにかくやってみなはれ」といった数々の名言を残しており、現場のアイデアを育てる・自分で考えさせる、という育てるタイプの人であった。名言集は後世にも通用するものばかりである。