法律上許される解雇の理由
解雇は雇主側が、一方的に労働者との雇用を解消することです。つまり、簡単に言えば「クビにする」ということで、労働者側にとってみれば、生活に非常に大きな影響を受ける出来事になります。
解雇には、雇主側の権限がとても大きく働くことになります。かつては、労働者側が解雇されることを恐れて、ひたすら理不尽な仕打ちに堪えたり、それだけ努力と忍従(我慢して従うこと)をしていても、雇主側の身勝手な理由で突如、失職させられるということが珍しくありませんでした。これらは、解雇に関する雇主側の権限が強すぎることから起こってきたことであり、極端な場合は、雇主の不正を労働者が正そうとして解雇されたり、雇主が労働者に暴行を行い、それを隠すために被害者の労働者が職を解かれるといった事例もありました。これでは、あまりにも労働者にとって理不尽であって、また、雇主の横暴を助長することにもなりかねません。
労働基準法では、このような、雇主と労働者とのパワーバランスを調整する目的で「法律上認められる解雇の理由」を「解雇は客観的に合理的理由がなく、社会通念上ふさわしいと認められない場合は、職権乱用と判断して無効になる」と決めています。
これは客観的、とか、社会通念上ふさわしい、とかいわれると、なんとなく曖昧で分かりにくいですね。裁判所による過去の判例をみていくと、この判断の基準はとても厳格です。
「客観的合理的な理由」とは、「誰が見ても、当然と思われる」「誰の目にも、筋道が通っている」ということです。
多くの場合、解雇を言い渡される場面では、感情の行き違いが起こっていて、それが原因で同様の失態を犯した他の労働者よりも、厳罰に処される結果になっていたり、一種の嫌がらせやイジメのような結果になっていることがあります。これは、「客観的、合理的」というよりは「私的感情的」という状態ですから、解雇の理由としてはふさわしくないということになります。
「社会通念上ふさわしい」とは、「世の中の、良い習慣や、マナー、モラル、などに照らし合わせて、極端に外れた判断ではないこと」という意味です。これは、事業所の業務内容によって、個別の事例ごとに細かい点では差が出てくる部分です。
分かりやすい例で言えば、「勤務態度が悪くて、何度注意しても遅刻、欠勤を繰り返す」「仕事上、学ばなくてはいけない、覚えておかなくてはいけないことをいい加減に取り扱う」「業務の上で任された事項について無責任」などの状況が続いて、何度、教育や改善措置を行い、更に猶予を与えて努力するように求めても、対処する様子が見られない、というときは、「解雇もやむなし」ということになります。